どーも!グッチー@098takashiです。
国道58号線沿いにある浦添市牧港のマクドナルドご存じですか?
そこに
「牧港のテラブのガマ」
という洞穴があるんです。
そこがなんと「源為朝がかつて琉球にやってきた」という伝説の残る場所なんです。
「牧港」の名前の由来にもなった伝説のガマ。
琉球歴史ロマンに関心のある方は必見です!
牧港テラブのガマについて
牧港テラブのガマの基本情報は次のとおり。
<牧港のテラブのガマの基本情報>
住所:〒901-2131 沖縄県浦添市牧港5丁目7−5
国道58号線を那覇から北上すると、浦添市牧港左手にパチンコ屋「サンシャイン牧港」が見えてきます。
マクドナルドも入居していますので、目立ちます。
宜野湾にわたる高架橋に上らず、左に入っていきます。
今は駐車場にセブンイレブンができているので、目印になります。
牧港テラブのガマは、地元では「ティランガマ」と呼ばれています。
琉球石灰岩でできた自然洞穴です。
内部は拝所になっており、洞穴の外の前庭は牧港の殿(祭祀場)と推測されているそうです。
伝説によると、12世紀後半に伊豆大島に流された「源為朝」が潮の流れで琉球にたどり着いて、「大里按司」の妹と結婚し、男の子が産まれます。
しかしその後、源為朝は浦添の港から船に乗って本土に戻って行ってしまいました。
(なんてこったい)
残された大里按司の妹と男の子はこの「ガマ(洞穴)」で源為朝がまた帰ってくるのを待っていたそうです。
そこでこの一帯を「待つ港」=「マチナト」=「牧港」になったのこと。
「牧港」自体は「まきみなと」と呼びますが、うちなーぐちでは「マチナト」と言います。
「サンエーマチナトシティ」なんて店名に使われるくらいですから。
そしてそしてこの残された男の子が「尊敦(そんとん)」と言い、なんとのちの舜天王になる、というレジェンドが。
舜天王統は最初の琉球の王様と言われています。
12世紀後半と言ったら800年以上昔の話。
そんなロマンがこの洞穴にあったなんて。
驚きですね!!
牧港テラブのガマの様子
牧港テラブのガマは誰でも入ることができる洞穴です。
ただしさきほども述べたように中は拝所となっていますので、入るときには清廉な気持ちをもってお邪魔する必要があります。
入り口は低くなっているため、頭をぶつけないように注意してください。
洞穴内はさすがにしっとりしてひんやりしています。
入り口に近いところはまだ内部が見えやすいので安心です。
入ってすぐのところに甕が2つありました。
なにか神聖なものなのでしょうか。
あまり近づかずに眺めるだけにしました。
なんだか神聖な雰囲気が一気に感じられました。
洞穴内部にある拝所です。
内部は空洞になっていて、12畳くらいの広さでしょうか。
この奥まで少し続いていますが、奥まで行くとさすがに暗くなります。
上部を見ると鍾乳石を見ることができます。
ここが石灰岩でできた洞穴であることがよくわかります。
沖縄は琉球石灰岩でできた大地です。
あちこちにガマとよばれる洞穴があります。
このガマが沖縄戦当時は住民の避難場所となりました。
この牧港のガマも避難場所になったのかもしれません。
800年前から近年まで、悲しい現実を見続けてきたガマなんですね。
ウートートーm(__)m
今日のエンジョイ!
牧港テラブのガマ
牧港テラブのガマの伝説は、歴史や地元の文化に深く根ざした魅力的な物語です。
伊豆大島から沖縄に至るまでの源為朝の旅は、困難に満ちたものでありながらも、愛と家族の絆を示す美しい物語ですよね。
また、「待港」という地名の由来や御嶽としての信仰が、地域の歴史と伝統の重要な一部として今も受け継がれていることは素晴らしいことです。
これらの伝説や信仰は、地域コミュニティにとって絆を深め、地元の誇りを高める重要な要素であると感じます。
半面、源為朝が子供と母親を置き去りにして帰郷するという部分は、「帰って来ーいーよおおお、為朝さん」という今となっては道徳的に問題があると感じるかもしれません。
この場所を見て、為朝を待っていた妻子の思い、そこからつながる舜天王統の歴史の重みを感じてみてください。
ちなみに同じ浦添市内にある浦添城址には「為朝岩」と呼ばれる巨岩がそびえています。
高台の巨岩ゆえ、浦添市内で一番高いらしい。
(近くに浦添総合病院を建てる際、この為朝岩の高さを超える超えない論争がいろいろあった。結果超えなかったはず)
浦添城址と言えばハリウッド映画「ハクソーリッジ」の舞台。
当時は「ニードルロック(針の岩)」と呼ばれたそう。
「ハクソーリッジ」も沖縄戦の超超激戦地で悲しい現実があった場所なので、機会があれば浦添城址まで足を伸ばしてみてね。
テラブガマのそばに牧港のマクドナルドがあるので、子どもとマクドしながら見学するのもいいですね!
それではまた!
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